世の中的にも、個人的にも、そりゃもう盛大にゴタゴタしてーる。3

今回も前回のお題をもう少し掘る。

佐藤浩市2(強引にまとめ過ぎたので修正)
今回の炎上要素は2つだろうか。「体制側」と「下痢総理」、「体制側」発言は自分が「反体制」である事を示す、20世紀の自己装飾手段だ、昔はこれがなんとなくカッコ良かった、正義漢になれる魔法の言葉、だが今回のケースでは微妙、それを解説していこう。「もうそれで人を騙せる時代じゃないんだよ」と言えば身も蓋も無いが、この便利な言葉で未だに騙される奴もいるようだからタチが悪い。反体制というのは「他国の体制側」という意味だ、過去においてはピョンヤン(ソウルはそれに服従)、モスクワが多かっただろう、そして近年は大きくペキンにシフトしてると予想する、違う方面ではロンドン&シティとかワシントン&NY、とか、従来の日本ではほとんどがピョンヤン、そしてピョンヤンに従うソウルが多かっただろう、それがカッコ悪いと思う場合はモスクワと言い換えたのだろう、反体制の正体なんて実はそんなもんではないのか、反体制と言いながら実は違う体制のシモベ、それがもうバレて居る時代にこれさえ言って居ればカッコがつくと佐藤は思って居るのだろうか。この映画は中国の圧力、もしくは中国への忖度で内容が変更されたらしいけど、独裁化と覇権主義を推し進める中国共産党の顔色を窺いながら作った映画「空母いぶき」のインタビュー記事で反体制を語る佐藤浩市をどう受け止めろと言うのか。俺の中では昔佐藤が演じた斎藤一が印象に残っている、「人間はただの糞袋」とか言って人を殺しまくるとんでもない役だった、そんな事を言いながら自分はチャッカリ生き残って孫に恵まれるのだった、何だか良くわからんけど面白かった、ヒデーなとも思うけどw、今回も役者だからカッコつけたいのはしょうがないけど何か微妙、だけどあのハリウッドでさえ近年は中国から圧迫を受けているそうだし、歴史上西洋の芸術家もパトロンとの関係に難しさを抱える場合も多かっただろう、サッカークラブも資金源であるオーナーとの関係が難しい事が多い、他国からの政治的な圧力も日本では巨大な障害だ、今回中国からの圧力もしくは中国への忖度で映画の内容を原作から変更してるのに反体制とか言われても・・。しかしですね、シガラミというやつは想像以上にキツそうでもある、彼らもその中でやってくしかないのかも知れない、ただでさえ戦後日本はスパイ天国で色々な他国が我が物顔で手を突っ込んでくると来たもんだ、そんな中で日本の反体制である事はすこぶる居心地が良いのだろう。間違えて他の体制に対して反体制を気取ったらとんでもないことになる、だから日本に対して反体制するしか無い、しょうがない、本物の体制に対して本気で反体制やったら身が持たないだろう。「下痢総理」については前回も書いたけど佐藤浩市個人の話では無く作品自体にその意図が含まれている、それが作者個人の意図なのか、それとも何らかの「シガラミ」によるものなのかわからないが、今回の映画化だけでなく原作段階から複雑な思惑が絡んでいるように思われる、今までも映画界や演劇界は大きな風に翻弄されてきたのだろうか、その風向きは変わっただろうか、以前はピョンヤンから吹いてきた風は、今はペキンから吹いているようだ。「紅の豚」で主人公が劇中で「スポンサーを背負わないと飛べない時代」を嘆いていたような気がするが、映画は世界の権力から監視や干渉を受けがちなんだろう、そんな中で現場の映画や演劇に対するアツい情熱はあるのか無いのか、今回の「空母いぶき」は劇中で各種の葛藤があるらしい、謎の侵略国家?、憲法9条の制約、決断の重圧とか、だがしかし、この作品の制作中に映画スタッフがどのように中国に対して配慮忖度したか、それこそがこの映画の真の見どころであるだろう。我々は映画の中にスタッフのプライドを目撃するのか、それとも・・

という感じで強引にまとめ直してみました。