足りないなら足せばいい、だがしかし、うーん難しい。 2

なんとなくだけど、西野とベンゲルは似ているように思う。

西野は「マイアミの無念」からか、攻撃サッカーを好んだ。

ベンゲルは下位に低迷していたグランパスの選手達の力を引き出し、アーセナルでもアンリ等、数々のクラッキを活躍させて見せた、アーセナルでは守備面の問題を指摘されることが多かったように思う。西野は攻撃的な選手に少し甘かったと思うし、ベンゲルもそんな印象。

西野の場合。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」、とは言うが、それはそうヤスヤスとは出来ることでは無いだろう、ロシアにおいて西野が身を投げ出すことで代表は機能した、どうして捨てることが出来たのだろうか?西野は捨てた、そして捨て無かった、西野が最後まで捨てなかった信念、それが捨てる事を可能にした、だから西野はダイブ出来た、だから代表は生まれ変わることが出来たのだ。振り返れば「マイアミの奇跡」それは同時に西野にとっての「マイアミの無念」であり、「勝点を得るためのサッカー」と「選手達が輝きファンが熱狂するサッカー」の狭間で悩んだ部分があったようだ、そしてガンバでの10年、「西野とガンバの攻撃サッカー」は結果を出した。やがてそれが古くなり、監督としての西野も古くなった、西野が信念をもって築き上げたスタイルは時代の流れの中で力を失った、ハリホジ解任による緊急登板で自分が出来る事をもう一度やってみたのだろう、そして上手くいかなかった、ここで飛行機に例えることを許して欲しい、西野の飛行機は上手く飛ばなかった、だが西野は見失わなかったのでは無いか?自分が誰のために、何のために飛行機を作ったのか、その目的を、自分の本願を西野は見失わなかった、本当に大事なことは「西野の飛行機」では無く「なぜ飛びたいのか?」だった、そこで本当に大事なのは「西野の飛行機」で飛ぶことでは無く、選手たちと一緒にもう一度大空を飛べる飛行機を作り上げることだった、だから飛ばなくなった自分の飛行機を心の倉庫に戻す事が出来たのだ、多少未練は垣間見えたが・・。目的と手段があり、築きあげた手段は西野の業績や地位や名誉やエゴの源泉になる、それらを捨てることが出来たのは目的を忘れなかったから、どうして自分は飛びたいと思ったのか?それを西野は忘れず持っていて、きっとそこにはサッカーの本質が含まれている、だからロシアで何かを見せることが出来たのだ、それは幸運かも知れない、でも決して偶然では無い。

ベンゲルの場合。
もし就任するとしたら、ここが大事、でも、まだ良くわかりません。