日本サッカー界のくだらない言葉遊び。

岩政が「自分たちのサッカー」を批判しているようだ、まだそんなことを言ってる。

では振り返ろう、「自分たちのサッカー」とは何だったのか?それはブラジルW杯の戦犯を捏造するために日本のサッカー業界が創りだした幻影に過ぎない。ブラジルを「自分たちのサッカー」で語り、ロシアを「ホタルの14秒」で語るやつはアタマの悪いバカか、性格最低のウ○コ野郎だ。

「あったよ、あれでしょ?」

と思い当たる人が居るかも知れない、「その状態」こそがこのワードの真の狙いであり、それが本当は何を意味するのか意図的にボヤカされている、ハッキリと「それ」が何を指すのか言及される事は多くないようだ、それをすれば反論が待っていて、突き詰めるとヤブ蛇になるので、程良いとこまで誘導しそこで止める、それを何度も何度も繰り返す事は効果が有る、印象操作のようなもんだ、愚民達はボンヤリとブラジルW杯前後の代表のサッカーが悪の根源であると思い込んでいく。そしてどんどんアホになるのだ。

ブラジルW杯の大会中にザケロニが暴走した、協会は激しく動揺しうろたえたように見えた、ザケロニの暴走にも驚愕したが、協会の動揺が業界全体にまで波及し、その結果まさかあんな事をするなんて想像してなかった、長友だったかな、「自分たちのサッカーをさせてもらえなかった」、そう試合後にコメントしたのだが、その赤裸々な発言を彼らは違う意味にスリ替えて利用した、言葉が独り歩きしたと言うのは簡単だ、実際はそうじゃないだろう、誰かが独り歩きさせた、それは個人じゃなくて集団だったと思う。

ボンヤリとした、もしくは意図を持ってぼやかされた「自分たちのサッカー」を今流行の言語化とやらをしてみよう。

ショートパス、ポゼッション、遅い攻撃

ありゃ、なんか簡単だけど、そんなトコかな?、いずれにしても、これらは単なる要素だ、単なる選択肢、ひとつの方法に過剰にネガティブなイメージを植えつけ、責任を押し付けた。それは実は手段に対する頑固なコダワリではなく単なる対応の結果なのだが、それがわからない人のほうが多い。どうしてそうなったか、それが抜け落ちている、それは誘導された場所、用意された結論に安心し、与えられた戦犯に酔いしれて満足し、いつまでもニコニコ道草を食って居るからだ、そしてあらぬ方向に進んでいく、狂っている。

まず最初に・・、どこからいこうか、当時の会長の大仁が技術委員長であった原博実に任せたような感じだったな、監督を原博実が選んだし、選手起用にも原博実の好みが色濃く出ていた、象徴的なのは今野の4BCB起用だ、今野を最近流行の3Bセンターで起用するならわかるのだ、未完成だが似たようなイメージだったのかも知れない、そのアイデアは惜しいトコロまでは行っていたのだろうか、だが4BCBはユニーク過ぎる、リアル不足の温室育ちの未成熟の甘いロマンでは無かったのか、セリエAで監督をしていたザケロニが自主的にやるとは思えない、協会側の指定だと思っている、そして走らない守らない当時の遠藤のレジスタ起用、更にウイングレス4-2-3-1という癖の強いフォーメーション、その結果、機能しない攻撃と左サイドの守備の大穴、それは協会側のリクエストに答えた結果だろう。

そろそろおわかりだろうか?本田と代表が相手と戦う前に何と戦わないといけ無かったのか、俺の見たとこ、その宿題との戦いにザケロニは無力だった、当時俺はヤフー掲示板やテキストリームに基本布陣のバランスの悪さを批判した投稿をしたものだった。

チームの柔軟性は攻守において臨機応変に対応し対戦相手を攻略するために活用されるべきで、そのアレンジ力や修正力をフォメの欠陥を補填することに使うしか無い代表の布陣はダメだと、当時も何回も書いた、だがそれでも本田と選手たちは悪戦苦闘した、アイツ等は誠実にヒタムキに難題に向き合い続けたのだ、ある時は攻撃面の利点をフルに活かす路線でイタリアと打ち合いを演じ派手に負けたりした、それじゃダメだと方針を転換したりもした、基本のメンバーや布陣は選手にはどうしようもないのだ、それは監督や協会が決める、選手達は示された基本布陣とメンバーの中で何が出来るのか、与えられた環境下で必死に試行錯誤しつづけた、彼らは協会と監督、そしてファン、その全てに応えようと誠実で在り続けた、あいつらは不満タラタラの私とは違うのだ。最後まで全てに応えようとして戦い、そして傷つき倒れた、そんなあいつらの努力を業界全体は裏切り、踏みにじり、切り捨てた。

自分のサッカーにコダワってきたのは実は大人や年寄り共であり、業界の権力者どもなのだ。犬飼会長のバックパス禁止だってそうだろう、原博実のウイングレス4-2-3-1、今野4BCB起用、遠藤のレジスタ起用、もそうだ、ザケロニの放り込みもそうだ、岡田や西野にも「自分のサッカー」はあったが最後まで固執することはしなかった、そこで明暗が別れる事も多いようだね。

最近、本田がグランパスに居た頃と現在のJリーグは変わって居ないと指摘した、もしかしたら岩政は本田と似たようなことを言いたいのかも知れない。だが、各方面に忖度しているのだろうか、「各」と言ってもほぼ上でしょうけど。

個人的趣味に走り過ぎてガチガチになりがちなのが本当は誰なのか、かつて本田と選手たちは権力を行使する大人たちが出した宿題に賢明に取り組み、青春のうちの多くを代表に捧げた、彼らが必死にひねり出した「解答」はゴミ箱に捨てられた。だが俺はあのゴールを忘れない。

「自分のサッカー」を押し付けているのが、どんな連中なのか?、本田は良く知っているだろう。

サッカーを歪める大権力、それはいつもサッカー関係者とは限らないだろう。

日本サッカーは巨大過ぎるノイズの中を正しく進んでいけるのだろうか、何が正しいのか、それはそれぞれの中にある。どうしてサッカーが好きなのか、その中に答えはあるのだろう、それを見失わない日本サッカーであって欲しい。

今回も便意を我慢しながら書いたので超適当です。

いつもすいません。